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1月1日
1. 行動の経過
1月1日8:30 クラブリ(Khuraburi)にあるTRF(The Thailand Resserch Fund)の事務所で資料収集。午後、グラン村、タレーノーク村視察。
2. グラン村
(パンガー(Phangnga)県スクサムラン(Suksamuran)郡ガンプアン(Kamphuan)行政区)
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■届いた支援物資を救援センターに運 び込むムスリムのネットワーク・ボラン ティア。(パンガー県グラン村、1/1撮影) |
プラパ・ビーチ(Pra Pha Beach)のある海岸の村。島ではなく、半島側にある。ラノーン(Ranong)から約60km南。人口世帯90〜100世帯(?)、死者41人、倒壊家屋50軒、支援を必要としている家族(生存世帯)86世帯海岸に面しているので、津波の被害を直接受けた。
ムスリムの村。被災者はモスクではなく、親戚、知人の家にそれぞれ別れて避難していて、現場には誰も住んでいない。食料、衣糧、飲料水などの支援物資は、私たちがいる間にも次々に運び込まれていた。村の中にある学生・生徒用の合宿施設が被害を免れて残っているので、救援物資の集積所になっている。元住民のリストがあり、元住民に物資の配給を行っていて、配給状況をチェックしている。元住民はここまで配給物資を受け取りに来て、自分の避難先に戻る。政府の救援はほとんど入っていないという。
ここに入っている救済・支援のうち9割はムスリムのネットワークによるもの。そのうちのひとつはWorld Assembly of
Muslim Youth。ムスリムの救援ボランティアもたくさん集まって、物資の受け取り、配給などを行っている。タイ政府も最初の頃に視察にきたが、それっきり。今後の長期的支援にはあまり期待できない。パトロールの職員(Fishery
Patrol-Department of Fishery)もいた。
海岸の入り口には、国立公園の管理事務所があり、その建物も全壊して、ほとんど跡形もない。また、観光客用の宿泊施設もあったというが、全く跡形もなくなっている。
このあたり一帯の地面は、津波によって大きくえぐられており、小さな池のような穴が海岸に沿って続いている。村の横の林の中では、流された木々が残った木に引っかかって山のようになっている。
●現地の人(女性、35才)の話
夫婦2人暮らし。漁業。ムスリム。現在は親戚の家に身を寄せている。夫婦2人とも無事だったが、両親は死亡した。今は救援物資を受け取りに来たところ。食料、服、飲み水は今は十分に足りている。しかし、料理をする道具がない。今はなんとか間に合うが、これから家を建てたりしなければならないし、生活をどのように続けたらいいか、わからない。借金もある。現在の救援物資には本当に感謝している。でも今後のことは深刻な問題。今の物質支援だけでなく、今後の私たちの生活のことも考えてほしい。
3. タレーノーク(Talee Nork)村
上記グラン村の数キロ北に位置する海岸沿いの村。海岸沿いに小学校と村の診療所があったが、小学校(コンクリート作り)は跡形もなく流されている。診療所は、3棟あり、一番海岸に近い建物(コンクリート作り)は全壊、奥の2階建て(高床式、コンクリート作り)は一部のみ、もうひとつの2階建て(木造)は半壊、中は破壊されていた。診療所の医者は、向かいにある小学校が津波に流されるのを見て、あわてて外に出て逃げようとしたが、間に合わずに死亡したという。
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■津波に運ばれて道路に乗り上げた家。 ラノーン県タレーノーク村(1/1撮影) |
村人47人が死亡(村人の話)。海岸から少し奥に入ったところに家が点在していて、海岸に近い家は全壊したが、奥の家は破壊を免れている。村の中央を通っている道(アスファルト)の上に流されてきた家が乗り上げていて、家自体は壊れていないので、中で村人が生活を続けている。ここの人々は、他の場所に避難しないで、家で生活をしている人が多かった。この村もムスリムの村。救援物資は家々ごとに分けられて、かなりたくさん届いている様子だ。
村人の話によると、津波が来る前に、海岸から海の水が見る見るうちに引いていって、10分ぐらいで20km先にある小島まで海水がなくなり、船が海底に着いてしまった。村人は津波の知識がなかったので、何だろうと集まってきたところ、津波が襲ってきたという。
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